つまり体験こそが自転車の本質ではないか。
自転車仲間との集まりのために茨城から東京に移動する車中、ぼんやり考えていたことがふとまとまったのでその場でTwitterに投稿したもの。なんとなくわかっていたことなんだけど、自分自身、文字で書く以上に納得できたので、まとめておくことにしました。
自転車ではなく電車やクルマで移動すると、支払う金額以上に貴重な体験機会を損失したと感じる。費用と時間と体験、それぞれに対する価値の重み付けが自分の中ではそうなっているからだと思う。→
posted at 15:07:22移動にかかる費用は時間の対価として納得できるが、その為に失われる体験の価値はプライスレスであると。トレーニング的な意味でもマイナスだろうが、それは節約した時間でローラー台にでも乗れば取り戻せるので大きな問題ではない。→
posted at 15:07:59自転車での移動中に全身で受け取る体験というのは他では換え難く、つまり体験こそが自転車の本質ではないか。言い換えれば、自転車は極めて体験的な乗り物ではないか、という思いを強くするに至った。→
posted at 15:09:15自転車にまつわる凡ゆることを考える際にこの本質を見失わぬようにすれば、さほど大きな間違いはせず、また迷うこともなかろうと思えたのは自分の中での大きな収穫であった。→
posted at 15:09:45そしてまた、体験そのものをより豊かなものとするためには、全身の健康を保ち、五感を開放しておかねばならぬということもあらためて理解した。目を見開き、耳の穴かっぽじって自転車に乗ろう。→
posted at 15:10:01とくに最も重要なのは、五感を取りまとめる頭脳。雑事や偏見で凝り固まった脳ミソでは、歪んだ景色しか見ることができないに違いない。けっして明晰ではないけれども、せめて純情であれと、敏感であれと、そう願わずにはいられない。自転車どうもありがとう。
posted at 15:10:36
「体験」という本質から離れずに、これからも人と街と自転車について、考えてゆこうと思います。
では。
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