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2010年12月13日 (月)

萩原朔太郎の「自転車日記」- 全文掲載

詩人・萩原朔太郎が昭和十一年に著した「自転車日記」の全文を掲載します。

わずか六日分の短い日記ですが、大正十年の暮れに一念発起して自転車を習い始めた朔太郎の悪戦苦闘の様子が赤裸々に綴られていてじつに面白いです。どうぞお楽しみください。


 

自転車日記 萩原朔太郎

 

 十二月二十日 今日ヨリ自転車ヲ習ワント欲ス。貸自転車屋ニ行キテ問エバ、損料*半日二十銭ナリト言ウ。ヨリテ一台ヲ借リ、附近ノ空地ニ至リテ稽古ス。操縦スコブル至難。ペタルヲ蹈メバタチマチ顛倒*ス。ヨリテ人ヲシテ車体ヲ押エシメ、ヨウヤクニシテ車上ニ乗ル。シカモ一歩ヲ蹈メバ直チニ顛倒シ、車ト共ニ地上ニ落ツ。身体皮肉痛苦甚ダシ。ヨリテ止メテ帰ル。

*損料 借り賃
*顛倒 顛はヘンのアタマがヒ

 

 十二月二十一日 弟ヲ伴イテ教師トナシ、早朝ヨリ練習ス。ヨウヤクヤヤ数歩ヲ蹈ムヲ得タリ。シカリトイエドモタチマチニ落ツ。弟曰ク。サナガラコレ酔漢ノ漫歩ニ似タリト。

 

 十二月二十三日 今日初メテ正常ニ走ルヲ得タリ。快言ウベカラズ。シカレ共コレ直行ノミ。曲折セントシテ把手(トッテ)ヲ転ズレバ、瞬間タチマチニシテ顛倒ス。弟曰ク。自転車ノ理、物理力学ノ法ニモトヅク。ソノ顛倒セズシテヨク走ルハ、重心ノ安全ヲ保ツニヨルナリ。シカシテ重心ノ所在ハ腰部ニアリ。君タダ把手ヲ動カシテ右曲セントス。ソノ顛倒スルハ当然ノミ。ヨロシク腰部ヲ用ユルベシト。余コレニヨリテ物理ヲ理解シ、初メテヨク要領ヲ得ルヲ得タリ。スナワチ場内ヲ一周シ、自由ニ操縦シテ誤ルコトナシ。内心ノ得意言ウベカラズ。試ミニ場外ニ出デ、大イニ街上ヲ走ラント欲ス。スナワチ出デテ走レバ、タチマチ坂道ノ傾斜ニ会ス。疾行トミニ加速度ヲ増シ、不安甚シク心気動乱ス。前路ニ数名ノ行人アリ。余車上ニ呼ビテ曰ク。危(アヤウ)シ、危シ、避ケヨ、避ケヨト。行人顧ミテ笑イテ曰ク。汝自ラ避ケヨト。余コレヲ避ケント欲シ、誤ッテ崖ニ衝突ス。車体弓ノゴトク湾曲*シ、余ハ路上ニ落チテ数ケ所ノ打傷ヲ負エリ。コレヲ担イテ自転車屋ニ運ベバ、マタ損害料金五円ヲ取ラル。余ハ心ニ盟(チカ)イテ、再度自転車ニ乗ラザルベキヲ約セリ。

*湾曲 湾は糸言糸の下に弓

 

 一月十日 先日ノ悔(クイ)ヲ忘レテ、マタ自転車ノ稽古ヲ始ム。余ノ借リタル車体ハ、廃物同様ノ古物ニシテ、始メヨリ制動機(ブレーキ)ノ設備ナカリシコト、今ニ至ッテ知ルヲ得タリ。 

 

 一月十五日 既ニ全ク熟練シ、市中ヲ縦横ニ乗走シ得。歩行シテ数時間ヲ要スル遠路ヲ、ワズカ一時間ニシテ走リ、シカモホトンド疲労ヲ知ラズ。天下アニカクノゴトキ爽快事アランヤ。今日、地図ト磁石ヲ携エテ近県ノ町ニ遠乗リス。途中甘味ニ飢エ、路傍ノ汁粉屋ニ入リテ休息ス。帰リテ父ニ語リテ曰ク、余今日某ノ町ニ遠乗リス。モシ汽車ニテ往復スレバ、約五十銭ノ旅費ヲ要スベシ。シカルニ余ノ費消シタル所ノモノハ、二杯ノ汁粉代金八銭ノミ。自転車ノ利、アニ大ナラズヤト。父曰ク。汝何ノ用アリテ彼所(カシコ)ニ行キタルヤト。余曰ク。ナシ。単ニ散策ノミト。父大ニ笑イテ曰ク。用ナクシテ行キ、無益ニ八銭ヲ費消ス、何ノ得カコレアラン。汝ハ小学生ノ算術ヲモ知ラザルナリト。

 

 三月一日 市中ヲ走ル。前ニ一老婆アリ。ベルヲ鳴ラセドモ聴エズ。道路狭隘ニシテ避ケガタク、ツイニ衝突シテコレヲ倒ス。余驚キテ助ケ起シ、怪我ナキヤヲ問ウ。幸イニシテ微傷ナシ。余叩頭シテ陳謝シ、百方無礼ヲ謝スルトイエドモ、老婆頑トシテ聞カズ。大声ヲ発シテ余ヲ罵倒ス。曰ク。汝何ノ怨アリテ我ヲ倒スヤト。ソノ人風采甚ダ賤シ。思エラク*コレ謝金ヲ要求スルナラント。ヨリテ金若干ヲ呈出シ、ヒソカニ手ニ与エントスレバ、老婆コレヲ地上ニ擲(ナゲウ)チ、更ラニ怒リテ罵声ヲ加ウ。余恐懼(キョウク)シテ為ス所ヲ知ラズ。窮爾(キュウジ)トシテ反覆謝辞ヲ陳ズルノミ。既ニシテ耳辺ニ喧々ノ声ヲ聴ク。見レバ群集四周ニ充チテ騒然タリ。余マスマス羞爾(シュウジ)トシテ進退ニ窮ス。幸イ余ヲ知レル一市人アリ。進ミテ老婆子ヲナダメ、ヨウヤクニシテソノ怒ヲ解クヲ得タリ。記シテコレヲ日記ニ銘ス。

*思エラク 思うことには

 

(昭和十一年十一月)

 


 

<底本>
筑摩書房 ちくま日本文学 036 萩原朔太郎
2009年6月10日 第一刷発行
ISBN978-4-480-42566-9
C0193
(「自転車日記」はP.235〜P.238)
*本書は一九九一年十月、「ちくま日本文学全集 018」として小社(注・筑摩書房)より刊行された。

<底本の親本>
萩原朔太郎全集(全十五巻補巻一、筑摩書房)


◎巻末解説 荒川洋治「自転車で歩く人」より一部引用

 生活からキレた場所に目をきらきらさせてたたずみ、個人の感覚世界を完全に生きた朔太郎は、物質の幻影とも無縁であった。その詩はぼくらの目にはうつらぬほどの過激にして純粋な。生命そのものの生き方を伝える。

 さて本書には「自転車日記」という、あまり他の本ではみかけない文章が入っている。ぼくはこのエッセイを読んで朔太郎さんがとても好きになってしまった。だってかわいいんだもの。その詩よりも親しみを感じてしまった。

 弟の助けを借りて、三十六歳(大正10年)で自転車をならいおぼえたときの記録である。乗って、すぐ倒れたこと。つぎには直行しかできず倒れたこと。そのつぎは人にぶつかってしまい、やっぱり倒れたこと。朔太郎さんもぼくらが子どものときのようすとおなじように、倒れているではないか。乗らずに自転車で歩くほうがこの詩人には似合うかもしれないが本人は乗りたかったらしい。社会をのぞいてみたかったらしい。でも倒れた。それで自転車がいやになり、でも少したったらもう一度挑戦するあたりの気持ちまで含めて、朔太郎はぼくらの身近な存在だったのだと知る。あーあ、こういう生活への努力をすれば、努力を歌っていけば、詩人は必要なだけのしあわせを手にしたろうに。詩人なんてなってもしようがないんだからと、まあ、思ったことである。しかし彼は、ぼくらにはこれから望みようもないはげしくてなつかしい世界の、ある場所で、自転車の練習をしている。

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ブレーキもないポンコツ自転車だと気づかずに崖に激突し、けがをした上に修理代までとられて「もう二度と乗らない」と誓った朔太郎ですが、自転車に乗る楽しさには勝てなかったようですね。ようやく自在に乗れるようになった一月十五日に嬉々として記した「天下アニカクノゴトキ爽快事アランヤ」の一文に、自転車の本質的な魅力が凝縮されている気がします。

最後はなんとも苦い顛末ですが、後の世の自転車乗りである私は、自らの恥を晒してこれを記した先人の意図を汲み、より安全で楽しい自転車生活を「crossbiker's diary」に記してゆきたいと思っています。

*なお萩原朔太郎は著作権の消滅した作家です。そのことを知って春先に別のブログに掲載したのですが、今回こちらにまとめることにしました。本文は上記の底本を見ながら私が入力したものです。底本にあったルビは(  )内に書き、注や旧字等は*で示しました。できるだけ忠実に入力したつもりですが、内容が正しいかどうかは保証しません。ご了承ください。

では。

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コメント

もう読みました いいですね

投稿: 九怨 -kuon-同人誌 画像 | 2010年12月15日 (水) 10時39分

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